作成日 1997/08/02    最終更新日 2004/05/28    あなたは延べ 44610 人目 since 2005/11/21

実用英語技能検定(英検)1級に合格するまで

 中学生のとき、英語の先生の家に行ったことがあった。本棚に英検1級の過去問題集があるのを見て、「先生、英検1級持ってるんですか?」と聞くと、先生は「先生じゃあ絶対受からんけど、どんとなもんか試しに買うてみたのいや(先生では絶対受からないけど、どんなものかと、試しに買ってみたのだよ)」と答えた。その時私は、英語の先生でも合格できないほどに難しいものなら自分も死ぬまでには是非合格してみたいものだ、と思った。

 時は流れて、大学に入学してESS(English Speaking Society: 英語のサークル)に入ってみると、なんと大学3年にして既に合格した先輩がいたので、度肝を抜かれた。そりゃあ、世の中には中学生で英検1級に合格する人もいるということも知っていたが、大学在学中の合格というくらいになると案外身近にもいるんだなと、驚いた。私が属していた広島大学ESSには当時1学年あたり約30人くらいの部員がいたが、結局のところ、私の学年までは在学中に合格する人が1学年に1〜2人ほどいた。残念ながら最近の広島大学ESSからは在学中の合格者は全く出なくなってしまったようである。

 そんな具合で、私の学年からも2年のときに1人(田中祐治:現在は熊本県立大学総合管理学部助教授)、3年のときに1人(福重康彦:現在は松下電器産業に勤務)の合格者が出た。3年で合格した福重は私と同じ学部で、ESSに私とこぞって入部した奴で、部長を務めた。私は中国地区大学ESS連盟の委員長を務めた。すなわち彼は私のライバルであった。しかし、英語力ははっきりいって彼のほうが上だった。彼は合格したとき「これで俺もESSの名球会入りだな」とぬかした。彼の自慢ぶりにはムッとしたが、言っている内容は認めざるを得なかった。私も広島大学ESSの中では英語力にはある程度のうぬぼれがあったので、自分も名球会入りしなければと思った。彼のこの一言が、その後数年間にわたる私の英検1級との闘いの原動力となったのであった。

 最初に受験したのは4年生の6月、もうESSからは引退していたときである。普通の部員は引退してからは(あるいは現役のときも)全く英語を勉強しないのだが、私にとって、ESSは非常に大きな意味を持っていた。大学=ESSという感じで、授業は単位が出さえすれば良いとサボりまくり、ESS活動に没頭していた。この意味においても、私にとって英検1級は、青春の証としてと言うか、絶対に合格しておかなければならないものだったのである。

 よく、まだとても合格できるとは思えない人が英検1級を受験していることがあるが、私は合格に近いところまで実力をつけていた自信があった。しかし、受けても受けても1次試験すら合格できない。不合格Aという、合格まであと10点以内まで到達しているのだが、万年不合格Aだった。過去問集で奴が合格したときの問題を見ると、妙に易しく見える。徐々に難易度が上がっていく傾向にあると、よく言われる。かといってそれを口にしても負け犬の遠吠えである。たとえ難易度が変わっても、とにかく合格したもの勝ちである。

 卒業・就職して、そうこうしているうちに、英会話のイーオン広島校に英検受験のためのコースがあるというのを聞き、通うことにした。大学のときは、英会話学校など自分ひとりでは勉強が進まないろくでなしの行くところ、と思っていたが、もう手段を選ばなくなっていた。あのたぐいの英会話学校では1級のコースとなると需要が少なくて3人のクラスだったのでラッキーだった。しかも他の2人はすぐに来なくなったので、グループレッスンの料金でマンツーマンの授業を受けることができた。この状態が1年半くらい続いただろうか、ある時やっと、1次試験に合格することができた。私はこのとき飛び上がって喜んだ。イーオン広島校も喜んで採算の取れていなかった1級のコースを廃止した。

 このとき、時を同じくしてもうひとりESSの同輩(平本哲嗣:当時は大学院生、現在は安田女子大学助教授)が1次試験に合格していたので、2次試験は彼と一緒に大阪に受けにいくことにした。厳密に言うと、彼はその1つ前の回に1次試験に合格し、そのときは1次免除であった。彼の英語力は相当なものであったが、それまで英検1級に関しては不振であった。この回、彼は遂に合格、私は落ちた。

 しかし、2次試験に一発で合格する人は非常に少ない(少なくとも私の周囲では)ので、一発で合格できなかったからといって焦ることはない。大体2回目で合格するのがパターンである。しかし、2回目も落ちた。イーオンを通して団体申し込みしていたので自分の得点を知ることができたが、このときはリスニング・コンプリヘンションで僅か1点足りなくて落ちてたことがわかった。当時の英検1級2次試験のリスニング・コンプリヘンションは、通訳的な技能を必要としていたので、通訳を習いにいくことにした。

 私が選んだ学校はトライデント・カレッジという河合塾系の専門学校であった。選んだ理由は、同時通訳コースの講師が、すご腕の達人であり且つESS出身者(大学は私とは別)で、共通の知人もいて、凄い噂をいろいろと聞かされていたからである。若干脱線してこの人の凄さを述べると、彼はESS時代に弱冠2年生にしてディベート全国大会で帰国子女や中央のビッグネームをなぎ倒して優勝、英検1級なんぞは楽々合格(大学2年時)、現在はネイティブ以上の英語力を持っており、合格者が全国でも数えるくらいしか出ないという通訳検定1級(私の価値観では司法試験よりも困難)にも合格している。私の知らない範囲であるが、学者としても活躍されている。実はこの人は私が大学1年のときにESSの合宿にゲストとして招かれていたので、一度だけ見たことのある人だった。

 他にたくさんあるこの種の学校は、大体においてビジネスマンの会社帰りという感じで、講師やクラスメートとは非常に表面的な関係しか持てないと思うのだが、トライデントのこの同時通訳コースは非常にアットホームでサークルのノリがあった。顔ぶれも他の英会話学校などとは違って、中・高校や大学の英語教員が多かった。このクラスのいい雰囲気も、敏腕講師の話術が作り出したものであった。お陰で社会に出てからは出来にくい、非常に親しい友人をたくさん作ることができた。また、元来充実感の得にくい語学学習にありながら、このコースは充実していた。そのようなことから、私は元々は英検1級のために通い始めたのに、通訳にも興味を持つようになり、通訳検定2級なども受験したりした(不合格だったが)。また、1994年に広島で行われたアジア競技大会などで、実際に通訳の経験もした。

 とは言え、英検1級のほうも受験し続けた。カド番を迎えた3度目の2次試験の時からは、地元広島で受験できるようになった。しかし、通訳に気をとられていたので特に準備・対策をしなかったこともあって落ちてしまい、遂に1次免除の権利を失ってしまった。この不合格通知を読んだときは、ドーハの悲劇(サッカーワールドカップ予選)での中山雅史のように地面に倒れた。そして次の回は1次試験から受けたが、ひさしぶりの1次試験ということもあり、なんと不合格Bになってしまった。これまたガックリきた。

 しかし、本当に実力が下がった訳ではなかったようだ。その次の回にはちゃっかりと1次試験に合格できた。そういえば、この時も、前の時も、1次試験に合格したときは知人が同じ教室で受験していた。前に1次試験に合格したときは隣の席に知人が座っていた。さて2次試験だが、やはりリスニング・コンプリヘンションが相変わらず難しく、合格できなかった。

 久しぶりにESSの同輩に会うと「まだやってんの」という感じの反応であった。そんなとき、同時通訳クラスがちょうど英検2次のリスニング・コンプリヘンション対策みたいな内容だったことがあった。それはメモの取り方だったのだが、「基本的に頭で覚えておく、メモは悪魔でも補助で、覚えきれなかったことだけをメモする」という方針を初めて学んだ。これを次の回の2次試験で実践してみたところ、解答量が増えた。そしてついに合格通知がやってきたのである。

 ところで、このときの2次試験でも、知人が隣の席にいた。合格したときはなぜか、いつも知人が近くにいる。それぞれ別の知人である。別に、カンニングはしてません。知人達は、みんな落ちたし。

 実に11回目の受験での合格である。やはり英語が専門ですんなり合格する人達とは力の差を感じずにはいられない。前述した合格者達は皆そうである。しかし「自分は英語は専門ではないから」という甘えがあっては力はつかない。よく会社などでどうすれば英語の力がつくかと聞かれたが、答えは「真剣になること」だ。ここではあまり触れなかったが、私だって落ち続けていた時に何もしていなかった訳ではなく、勉強した。英字新聞も定期購読したし、NHKラジオ・テレビの語学番組はたくさんかけ持ちした。音楽を聴く暇があったら英語のニュースを聴いた。語彙についてはパソコンで単語学習ソフトも作った。休日も勉強しないと罪悪感があった。

 ところで広島大学ESSの昭和62年度入学組からは私で4人目の合格となった。追跡調査をしていないので断言はできないが、最多であると推測する。現役時代には学年として能力的に突出していたわけではなかったが、こういう結果になったことは嬉しい。最後に合格までの結果の詳細を付け加えておいた。

 御精読ありがとうございました。

 続編 私はこうして英語を勉強した


言語操作能力 意思伝達能力 総合評価 一次試験
結果
二次試験
結果
備考
読解力 作文力 聴解力
平成2年度
第1回
62 60 58 53 63.1 不合格A ---  
平成2年度
第2回
45 44 41 58 46.8 不合格B --- 受験時
発熱
平成3年度
第2回
63 45 49 60 61.6 不合格A --- TOEICで
800点
平成4年度
第1回
61 55 53 55 60.8 不合格A --- TOEICで
830点
平成4年度
第2回
60 56 59 62 63.2 不合格A --- TOEICで
840点
平成5年度
第1回
64 62 62 70 69.7 合格 不合格C TOEICで
935点
平成5年度
第2回
--- --- --- --- --- 一次免除 不合格A 1点差で
不合格
平成6年度
第1回
--- --- --- --- --- 一次免除 不合格A  
平成6年度
第2回
61 41 52 60 55.8 不合格B ---  
平成7年度
第1回
60 59 67 55 64.5 合格 不合格B  
平成7年度
第2回
--- --- --- --- --- 一次免除 合格  


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